02-3*時間軸no4:紀元前の朝鮮半島には中国,日本からの民
2018年07月27日
- 古事記は712年、日本書紀は720年に世界創生並びに我が国の建国を綴った歴史書である。
-
- ネットで簡単に調べられるが、これまで全く関心のなかった人のために大まかなあらすじを記しておこう。
-
- 幾人かの神様が出ては消えていくのだが、イザナギ・イザナミの2柱が現れ、数々の国や神を生んでいく。
- ・・・
- ところが或る出産が元でイザナミが亡くなる。イザナギはイザナミを追いかけるが逆に諍いを起こしてしまう。
- ようやく逃げおおせたイザナギは、禊によりアマテラス・ツキヨミ・スサノヲの3柱を生む。
- ・・・
- アマテラスの孫にあたるニニギノミコトがこの地上界に下りてくることになった。天孫降臨である。
- ニニギの子である海幸彦、山幸彦にも諍いが起きるが、ワタツミの力を借りた山幸彦が家督を継ぐことになる。
- 遂には、その孫であるイワレヒコ、後に神武天皇となる人物が畿内大和に向け東征することとなる。
-
- 古事記・日本書紀を読んでいくと辻褄の合わない処や似た話が繰り返される処など散見されるのだ。
- 実の一人物が2つ3つの人物に分割されたり、複数の実人物が一人の人物に纏め上げられたり。
- 並行してあった史実を直列に並べたり、時代を前後していた史実を一緒くたにしたりひっくり返したり。
- ・・・
- よって記紀の解釈は多種多様にならざるを得ないのだけれど、そりゃないだろうと感じるものも多いのが現実で、
- 勿論、私の考えも他人様からは?かもしれぬが、長年あぁでもないこぅでもないと来たからにゃこれはもう致し方ない。
● ● ●
前回までは、紀元前から紀元後3世紀「魏,呉,蜀」三国時代までの中国大陸の国々の興亡を見て来た。
言うまでもなく、AD3世紀と言う時代は、この日本に「邪馬台国」が存在していたとされる時代である。
● 02-3*時間軸no1:BC5,4世紀 -「呉」と「越」の滅亡
● 02-3*時間軸no2:BC3世紀 - 戦国時代,「秦」興亡の余波
● 02-3*時間軸no3:BC2~3世紀 -「漢」の覇権拡大と「魏,呉,蜀」
今回は前回まで見て来た中国の歴史に照らしながら、朝鮮半島の、まずは紀元前状勢を押さえておきたい。
・・・
尚、今回の表題に「漢」とあるが、「漢」は一度亡国の憂き目にあうが直ぐに再興した歴史を持つ。故に「前漢」「後漢」と言い分けるのだが、今回記事は「前漢」に当たる。
■ 先史時代の朝鮮半島の特異性
中国、そして日本でもBC一万年頃には旧石器時代が終わり、新石器時代に突入する。しかしその時に、朝鮮半島では凡そ5000年もの間、全く人の気配が無くなったことが知られている。遺跡がとんと見つからないのだ。
日本における新石器時代は、イコール縄文時代になる。
朝鮮半島での新石器時代の指標は磨製石器と櫛目文土器とされるが、その最古の遺跡がBC4000年のものであるらしい。ところで、その櫛目文土器は満州の遼河文明(BC6200年)、並びに日本でも九州、沖縄で縄文時代前期の曽畑式土器として出土する。即ち、朝鮮半島の新石器時代の形成は、6,7000年前頃よりの内陸や日本列島から人が入り込んだ結果であることが判る。
・・・
歴史が、人が、土の中からポコっと出てくることはない。もちろん空からポタポタと降ってくることもない。それは有史時代に入ってからも同様である。朝鮮半島の歴史が、自発的にではなく、外からの人や要因によって作られて行ったことはまず間違いなかろう。
■ 歴史を知る最良の資料は、「正史」
天下を治めた国は自国の正当性を明らかにするために歴史書を編む。現代に生きる私達からすれば、それらの史書は真偽の見極めは必要だが歴史の真実を探る上で最良の資料となる。俗に「正史」と言われるものだ。
・・・
なかでも、この東アジアの歴史を紐解くために無くてはならないのが中国のそれである。特に、前漢(BC206年~AD8年)の武帝時代、BC91年に司馬遷によって武帝までの二千年余を編んだ「史記」と、後漢(AD25年~220年)の班固、班昭によって前漢を記した「漢書」、南北朝時代の南朝宋(AD420年~479年)の范曄による「後漢書」、そして西晋(AD265年 - 316年)の陳寿による「三国時代:魏,呉,蜀」を描いた「三国志」は紀元前からAD3世紀までの東アジアを語る上で無くてはならない貴重な資料とされる。
中国「正史」は、清の第6代皇帝乾隆帝によって歴代の代表的史書が「二十四史」として選定されている。
● Wikipedia - 二十四史
ちなみに、「邪馬台国」について触れた「魏志倭人伝」は「三国志」内の「魏志(魏書)東夷伝 - 倭人条」のこと。
- ところで日本最古の「正史」と言えば、AD720年編纂の「日本書紀」になるが、
- 他に日本の「正史」は次のものがある。 ※( )は完成年。
- ● 続日本紀(AD797年)
- ● 日本後紀(AD840年)
- ● 続日本後紀(AD869年)
- ● 日本文徳天皇実録(AD879年)
- ● 日本三代実録(AD903年)
- ● 新国史(続三代実録)(~AD969年,但し未完)
■ 朝鮮最古の史書は、ようやくAD12世紀になっての「三国史記」
さて、朝鮮半島の歴史を探ろうとする時に、まずは朝鮮の「正史」が気になるのは当たり前のこと。しかしながら、朝鮮のそれは AD1145年になってようやく編まれた「三国史記」が最古と言うからかなり拍子抜けである。
● Wikipedia - 三国史記 三国とは、「新羅」、「高句麗」、「百済」を指す。
よって、朝鮮半島の歴史を紐解くに当たっても中国史書の助けは必至。これはどう足掻こうが致し方ない。
■ 中国地理書の山海経に「 蓋国在鉅燕南倭北。倭属燕。」
BC1046年(他にも説あり)に殷(商)は周に滅ぼされた。殷(商)の文民であった箕子は周王に人物を評価された故に、現在の北朝鮮辺りを封じられ民を率いて赴いたとする。
● Wikipedia - 箕子朝鮮(きし-ちょうせん)
「箕子朝鮮」については、次の中国史書等に記述がある。
・・・
「史記 : 卷38 宋微子世家」
- 周の武王によって封ぜられた建国逸話が書かれている。
他に、「三国志 : 魏志(魏書)東夷伝 - 辰韓条」「魏略逸文」等
その後の「箕子朝鮮」、と言うか朝鮮半島の様子は甚だ不明である。ようやく半島の動向の一端が垣間見えたのがBC2世紀に入ってのこと。その期間、なんと850年。
・・・
春秋時代を経て、BC4世紀に入ってからの戦国時代は200年に渡って七雄が争っていた中国だが、始皇帝の登場で遂に「秦」が大陸の覇者となる。BC221年のことだ。ところが僅か15年後のBC206年、その「秦」も始皇帝が没すると直ぐに弱体化し、やがて「前漢」の前に滅び去ってしまった。
● 02-3*時間軸no2:BC3世紀 - 戦国時代,「秦」興亡の余波
● 02-3*時間軸no3:BC2~3世紀 -「漢」の覇権拡大と「魏,呉,蜀」
そんなBC3世紀末からBC2世紀初頭の中国での動乱が、地続きの朝鮮半島に影響を及ぼさないはずがない。
・・・・・・
・・・・・・
話を進める前に今一度、紀元前の調整半島の地勢を確認しておきたい。その一端を垣間見ることのできる文言が「山海経」にある。「蓋国在鉅燕南倭北。倭属燕。」の一文である。
「山海経」は、中国戦国時代(BC4世紀)から後漢(AD3世紀)にかけて書き継がれた地理書である。
「鉅燕」は「燕」の誇称で、「史記」では「全燕」と記される。
訳すまでもないが、--- 「蓋国」は「鉅燕」の南、「倭」の北にある。「倭」は「燕」に属している。
・・・
「蓋国」がどの国かは明確ではない。が、この文から「蓋国」と言う国が「燕」と「倭」に挟まれてあったとする朝鮮半島の状況であることは間違いなかろう。更に、まだ「燕」が存在し、その上強大であった時代とも見做せる。よって、これがBC3世紀の事であろうことも判る。
然らば「蓋国」とは「箕子朝鮮」末期の呼び名かと思われる。前述したように「箕子朝鮮」の名は後世の名付けだ。
・・・
「倭」は「燕」に属しているとは、「燕」に「倭」が朝貢していたことを示していよう。
とすると、「蓋国」と言う名は半島の付け根で「蓋」をしているような存在の国、の意味にも見えてくる。
※クリックで拡大 「 824*624 」:Fig●BC250年頃-中国戦国時代:世界の歴史まっぷ に加筆
■ 「秦」の興亡,「漢」の覇権。朝鮮半島に及んだ支配者の玉突き現象
破竹の「秦」の進撃の前に、破れた国の民は安住の地を求めて彷徨い、新天地を求めることとなる。
・・・
七雄の一国であった「燕」は一度は「秦」によって滅ぼされるのだが、「西楚」の項羽、「前漢」の劉邦と続けて助けられ延命する。ところが、結局はBC195年にその「前漢」によって息の根を止められてしまう。王であった盧綰は北方の「匈奴」に亡命、将軍職の衛満は遼東の東方、朝鮮半島へと逃げ込んだ。
「燕」は中国の北東部、渤海北岸に接し現在の北京辺りから遼東にかけてあった国。
戦国七雄の一国。既に朝鮮半島にまで影響力が及んでいたと言う説もある。
衛満は「箕子朝鮮」の王である箕準の庇護を受けるのだが、中国動乱から逃げて来た民を集め謀略を画策、国を乗っ取ることに成功し、「衛氏朝鮮」を建国する。これぞ、「恩を仇で返す」、或いは「軒を貸して母屋を取られる」以外の何物でもない。また、これがBC195年の事だとするから、逃げて来たその年の内の曲事でもあった。
● Wikipedia - 衛氏朝鮮(えいし-ちょうせん)
この「衛氏朝鮮」にしても、前「箕子朝鮮」にしても正式な国名ではなく、
14世紀末に建国し「朝鮮」と称した「李氏朝鮮」と区別するために後世になって付けた名称である。
・・・
そもそも「朝鮮」と言う名は平壌辺りの古名で、
名の無かった「衛氏朝鮮」のことを、司馬遷が「史記」で「朝鮮」と呼称したのが始まり。
ところが、衛満の軍に為す術なく敗れた「箕子朝鮮」の箕準は、南方へ敗走してその地を治めたと言う。「山海経」の記述から、その地は「倭」しかありえない。
・・・
実は、朝鮮半島での玉突き現象の予兆は既にあった。半島南部、「倭」と言っても国には程遠く、まだまだ混沌とした一帯に過ぎなかったのではなかろうか。そこに、戦いに塗れた大陸の民が何万の単位で逃げて来たわけである。安穏としていた「倭」社会は多種民族が混在する状況へと変化せざるを得ない。騒乱に塗れる社会故に、箕準の一行もその中に入って行くのに困難はない。そこからは、時と共に次第に纏まり、分れ、そしてまた纏まりと、半島南部が数個の大集団に収束して行くのは必然に思える。
中国七雄の記事でも述べたが、例えば、「燕」の前にその地にいた「韓」は周王によって中原西域に転封されたが、
「韓」の住民はそのまま居残り「韓氏」と自称した。つまり、これらの民が朝鮮半島に流入して行ったわけだ。
※クリックで拡大 「 1050*1430 」:Fig●中国・朝鮮半島 [時間軸] 04 - 紀元前の朝鮮半島:「倭」と「漢」勢力の波及
■ 「前漢」の半島進出、「楽浪郡」の設置
「前漢」の勢いは止まらない。統一して一世紀、覇権を華南から越まで拡げたことは以前の記事でも取り上げたが、同時期に朝鮮半島も手中に収める。BC108年に恭順の意を示さず反抗するばかりの「衛氏朝鮮」を討伐するに至ったのである。
・・・
その地には、楽浪郡以下、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡が置かれることとなる。
● Wikipedia - 楽浪郡
「漢」から「魏」、そして「西晋」が滅びるAD313年までの四百年余に渡って中国国家の支配下に置かれた。
そしてまた、半島の奥、満州の地でも歴史が胎動する。
■ 「穢族」が活性化し出した満州の地
中国が「前漢」によって統一された頃、その東北部満州の地には「穢族(ワイ族)」が居住していたとされる。この穢族は後世に渡って幾つもの民族に枝分かれし満州から朝鮮半島の広範囲で活動するのだが、この中から「前漢」の影響を受けた集団がBC2世紀末に分岐し後に建国する。「扶余」と言う。
● Wikipedia - ワイ人
● Wikipedia - 夫余
・・・・・・
・・・・・・
「前漢」の勢力も衰える時が来る。そんな情勢に機を見て、この「扶余」から「高句麗」が誕生する。と、時代のうねりは半島南部にも及ぶのも当然。混沌の中から「馬韓」、そして「辰韓」、「弁韓(弁辰)」が産まれ、並び立つ時代へと。「倭」はまだ存続はしているものの、縮小を余儀なくされるばかりだ。
・・・ と、その話は次回に。
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- ネットで簡単に調べられるが、これまで全く関心のなかった人のために大まかなあらすじを記しておこう。
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- 幾人かの神様が出ては消えていくのだが、イザナギ・イザナミの2柱が現れ、数々の国や神を生んでいく。
- ・・・
- ところが或る出産が元でイザナミが亡くなる。イザナギはイザナミを追いかけるが逆に諍いを起こしてしまう。
- ようやく逃げおおせたイザナギは、禊によりアマテラス・ツキヨミ・スサノヲの3柱を生む。
- ・・・
- アマテラスの孫にあたるニニギノミコトがこの地上界に下りてくることになった。天孫降臨である。
- ニニギの子である海幸彦、山幸彦にも諍いが起きるが、ワタツミの力を借りた山幸彦が家督を継ぐことになる。
- 遂には、その孫であるイワレヒコ、後に神武天皇となる人物が畿内大和に向け東征することとなる。
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- 古事記・日本書紀を読んでいくと辻褄の合わない処や似た話が繰り返される処など散見されるのだ。
- 実の一人物が2つ3つの人物に分割されたり、複数の実人物が一人の人物に纏め上げられたり。
- 並行してあった史実を直列に並べたり、時代を前後していた史実を一緒くたにしたりひっくり返したり。
- ・・・
- よって記紀の解釈は多種多様にならざるを得ないのだけれど、そりゃないだろうと感じるものも多いのが現実で、
- 勿論、私の考えも他人様からは?かもしれぬが、長年あぁでもないこぅでもないと来たからにゃこれはもう致し方ない。
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前回までは、紀元前から紀元後3世紀「魏,呉,蜀」三国時代までの中国大陸の国々の興亡を見て来た。
言うまでもなく、AD3世紀と言う時代は、この日本に「邪馬台国」が存在していたとされる時代である。
● 02-3*時間軸no1:BC5,4世紀 -「呉」と「越」の滅亡
● 02-3*時間軸no2:BC3世紀 - 戦国時代,「秦」興亡の余波
● 02-3*時間軸no3:BC2~3世紀 -「漢」の覇権拡大と「魏,呉,蜀」
今回は前回まで見て来た中国の歴史に照らしながら、朝鮮半島の、まずは紀元前状勢を押さえておきたい。
・・・
尚、今回の表題に「漢」とあるが、「漢」は一度亡国の憂き目にあうが直ぐに再興した歴史を持つ。故に「前漢」「後漢」と言い分けるのだが、今回記事は「前漢」に当たる。
■ 先史時代の朝鮮半島の特異性
中国、そして日本でもBC一万年頃には旧石器時代が終わり、新石器時代に突入する。しかしその時に、朝鮮半島では凡そ5000年もの間、全く人の気配が無くなったことが知られている。遺跡がとんと見つからないのだ。
日本における新石器時代は、イコール縄文時代になる。
朝鮮半島での新石器時代の指標は磨製石器と櫛目文土器とされるが、その最古の遺跡がBC4000年のものであるらしい。ところで、その櫛目文土器は満州の遼河文明(BC6200年)、並びに日本でも九州、沖縄で縄文時代前期の曽畑式土器として出土する。即ち、朝鮮半島の新石器時代の形成は、6,7000年前頃よりの内陸や日本列島から人が入り込んだ結果であることが判る。
・・・
歴史が、人が、土の中からポコっと出てくることはない。もちろん空からポタポタと降ってくることもない。それは有史時代に入ってからも同様である。朝鮮半島の歴史が、自発的にではなく、外からの人や要因によって作られて行ったことはまず間違いなかろう。
■ 歴史を知る最良の資料は、「正史」
天下を治めた国は自国の正当性を明らかにするために歴史書を編む。現代に生きる私達からすれば、それらの史書は真偽の見極めは必要だが歴史の真実を探る上で最良の資料となる。俗に「正史」と言われるものだ。
・・・
なかでも、この東アジアの歴史を紐解くために無くてはならないのが中国のそれである。特に、前漢(BC206年~AD8年)の武帝時代、BC91年に司馬遷によって武帝までの二千年余を編んだ「史記」と、後漢(AD25年~220年)の班固、班昭によって前漢を記した「漢書」、南北朝時代の南朝宋(AD420年~479年)の范曄による「後漢書」、そして西晋(AD265年 - 316年)の陳寿による「三国時代:魏,呉,蜀」を描いた「三国志」は紀元前からAD3世紀までの東アジアを語る上で無くてはならない貴重な資料とされる。
中国「正史」は、清の第6代皇帝乾隆帝によって歴代の代表的史書が「二十四史」として選定されている。
● Wikipedia - 二十四史
ちなみに、「邪馬台国」について触れた「魏志倭人伝」は「三国志」内の「魏志(魏書)東夷伝 - 倭人条」のこと。
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- 他に日本の「正史」は次のものがある。 ※( )は完成年。
- ● 続日本紀(AD797年)
- ● 日本後紀(AD840年)
- ● 続日本後紀(AD869年)
- ● 日本文徳天皇実録(AD879年)
- ● 日本三代実録(AD903年)
- ● 新国史(続三代実録)(~AD969年,但し未完)
■ 朝鮮最古の史書は、ようやくAD12世紀になっての「三国史記」
さて、朝鮮半島の歴史を探ろうとする時に、まずは朝鮮の「正史」が気になるのは当たり前のこと。しかしながら、朝鮮のそれは AD1145年になってようやく編まれた「三国史記」が最古と言うからかなり拍子抜けである。
● Wikipedia - 三国史記 三国とは、「新羅」、「高句麗」、「百済」を指す。
よって、朝鮮半島の歴史を紐解くに当たっても中国史書の助けは必至。これはどう足掻こうが致し方ない。
■ 中国地理書の山海経に「 蓋国在鉅燕南倭北。倭属燕。」
BC1046年(他にも説あり)に殷(商)は周に滅ぼされた。殷(商)の文民であった箕子は周王に人物を評価された故に、現在の北朝鮮辺りを封じられ民を率いて赴いたとする。
● Wikipedia - 箕子朝鮮(きし-ちょうせん)
「箕子朝鮮」については、次の中国史書等に記述がある。
・・・
「史記 : 卷38 宋微子世家」
- 周の武王によって封ぜられた建国逸話が書かれている。
他に、「三国志 : 魏志(魏書)東夷伝 - 辰韓条」「魏略逸文」等
その後の「箕子朝鮮」、と言うか朝鮮半島の様子は甚だ不明である。ようやく半島の動向の一端が垣間見えたのがBC2世紀に入ってのこと。その期間、なんと850年。
・・・
春秋時代を経て、BC4世紀に入ってからの戦国時代は200年に渡って七雄が争っていた中国だが、始皇帝の登場で遂に「秦」が大陸の覇者となる。BC221年のことだ。ところが僅か15年後のBC206年、その「秦」も始皇帝が没すると直ぐに弱体化し、やがて「前漢」の前に滅び去ってしまった。
● 02-3*時間軸no2:BC3世紀 - 戦国時代,「秦」興亡の余波
● 02-3*時間軸no3:BC2~3世紀 -「漢」の覇権拡大と「魏,呉,蜀」
そんなBC3世紀末からBC2世紀初頭の中国での動乱が、地続きの朝鮮半島に影響を及ぼさないはずがない。
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話を進める前に今一度、紀元前の調整半島の地勢を確認しておきたい。その一端を垣間見ることのできる文言が「山海経」にある。「蓋国在鉅燕南倭北。倭属燕。」の一文である。
「山海経」は、中国戦国時代(BC4世紀)から後漢(AD3世紀)にかけて書き継がれた地理書である。
「鉅燕」は「燕」の誇称で、「史記」では「全燕」と記される。
訳すまでもないが、--- 「蓋国」は「鉅燕」の南、「倭」の北にある。「倭」は「燕」に属している。
・・・
「蓋国」がどの国かは明確ではない。が、この文から「蓋国」と言う国が「燕」と「倭」に挟まれてあったとする朝鮮半島の状況であることは間違いなかろう。更に、まだ「燕」が存在し、その上強大であった時代とも見做せる。よって、これがBC3世紀の事であろうことも判る。
然らば「蓋国」とは「箕子朝鮮」末期の呼び名かと思われる。前述したように「箕子朝鮮」の名は後世の名付けだ。
・・・
「倭」は「燕」に属しているとは、「燕」に「倭」が朝貢していたことを示していよう。
とすると、「蓋国」と言う名は半島の付け根で「蓋」をしているような存在の国、の意味にも見えてくる。
※クリックで拡大 「 824*624 」:Fig●BC250年頃-中国戦国時代:世界の歴史まっぷ に加筆
■ 「秦」の興亡,「漢」の覇権。朝鮮半島に及んだ支配者の玉突き現象
破竹の「秦」の進撃の前に、破れた国の民は安住の地を求めて彷徨い、新天地を求めることとなる。
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七雄の一国であった「燕」は一度は「秦」によって滅ぼされるのだが、「西楚」の項羽、「前漢」の劉邦と続けて助けられ延命する。ところが、結局はBC195年にその「前漢」によって息の根を止められてしまう。王であった盧綰は北方の「匈奴」に亡命、将軍職の衛満は遼東の東方、朝鮮半島へと逃げ込んだ。
「燕」は中国の北東部、渤海北岸に接し現在の北京辺りから遼東にかけてあった国。
戦国七雄の一国。既に朝鮮半島にまで影響力が及んでいたと言う説もある。
衛満は「箕子朝鮮」の王である箕準の庇護を受けるのだが、中国動乱から逃げて来た民を集め謀略を画策、国を乗っ取ることに成功し、「衛氏朝鮮」を建国する。これぞ、「恩を仇で返す」、或いは「軒を貸して母屋を取られる」以外の何物でもない。また、これがBC195年の事だとするから、逃げて来たその年の内の曲事でもあった。
● Wikipedia - 衛氏朝鮮(えいし-ちょうせん)
この「衛氏朝鮮」にしても、前「箕子朝鮮」にしても正式な国名ではなく、
14世紀末に建国し「朝鮮」と称した「李氏朝鮮」と区別するために後世になって付けた名称である。
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そもそも「朝鮮」と言う名は平壌辺りの古名で、
名の無かった「衛氏朝鮮」のことを、司馬遷が「史記」で「朝鮮」と呼称したのが始まり。
ところが、衛満の軍に為す術なく敗れた「箕子朝鮮」の箕準は、南方へ敗走してその地を治めたと言う。「山海経」の記述から、その地は「倭」しかありえない。
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実は、朝鮮半島での玉突き現象の予兆は既にあった。半島南部、「倭」と言っても国には程遠く、まだまだ混沌とした一帯に過ぎなかったのではなかろうか。そこに、戦いに塗れた大陸の民が何万の単位で逃げて来たわけである。安穏としていた「倭」社会は多種民族が混在する状況へと変化せざるを得ない。騒乱に塗れる社会故に、箕準の一行もその中に入って行くのに困難はない。そこからは、時と共に次第に纏まり、分れ、そしてまた纏まりと、半島南部が数個の大集団に収束して行くのは必然に思える。
中国七雄の記事でも述べたが、例えば、「燕」の前にその地にいた「韓」は周王によって中原西域に転封されたが、
「韓」の住民はそのまま居残り「韓氏」と自称した。つまり、これらの民が朝鮮半島に流入して行ったわけだ。
※クリックで拡大 「 1050*1430 」:Fig●中国・朝鮮半島 [時間軸] 04 - 紀元前の朝鮮半島:「倭」と「漢」勢力の波及
■ 「前漢」の半島進出、「楽浪郡」の設置
「前漢」の勢いは止まらない。統一して一世紀、覇権を華南から越まで拡げたことは以前の記事でも取り上げたが、同時期に朝鮮半島も手中に収める。BC108年に恭順の意を示さず反抗するばかりの「衛氏朝鮮」を討伐するに至ったのである。
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その地には、楽浪郡以下、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡が置かれることとなる。
● Wikipedia - 楽浪郡
「漢」から「魏」、そして「西晋」が滅びるAD313年までの四百年余に渡って中国国家の支配下に置かれた。
そしてまた、半島の奥、満州の地でも歴史が胎動する。
■ 「穢族」が活性化し出した満州の地
中国が「前漢」によって統一された頃、その東北部満州の地には「穢族(ワイ族)」が居住していたとされる。この穢族は後世に渡って幾つもの民族に枝分かれし満州から朝鮮半島の広範囲で活動するのだが、この中から「前漢」の影響を受けた集団がBC2世紀末に分岐し後に建国する。「扶余」と言う。
● Wikipedia - ワイ人
● Wikipedia - 夫余
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「前漢」の勢力も衰える時が来る。そんな情勢に機を見て、この「扶余」から「高句麗」が誕生する。と、時代のうねりは半島南部にも及ぶのも当然。混沌の中から「馬韓」、そして「辰韓」、「弁韓(弁辰)」が産まれ、並び立つ時代へと。「倭」はまだ存続はしているものの、縮小を余儀なくされるばかりだ。
・・・ と、その話は次回に。
Posted by Kashiwa★da at 17:00 | Comments(0) | 02.記紀「中国,朝鮮:時代背景」・考
Blog「処々起承転撮」古事記・日本書紀:記事…10,11,12
2018年05月26日
- 別Blog「処々起承転撮」で趣味の「写真」と「音楽」について書いている。
- 撮りためた写真の中から一枚、そこに思い浮かんだ音楽(曲)とのセット「写真∽音楽」で記事にしているもの。
- 時には真面目に、時には洒落で、好きな写真と好きな音楽でひとり丁々発止とでも言ってよい。
- ・・・
- いつしか、それらの中に「古事記・日本書紀」絡みの記事も増えてきたので、
- 整理がてらこの場にリストアップを、一回につき3記事づつ拾っていきたいと考えている。
● ● ●
10 ■ ShoSyoShuSyuSha 061:Green Green / 青年は荒野をめざす
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 061:Green Green / 青年は荒野をめざす ※クリックで当該ページへ
■ 写真は「法(ノリ)で造成されている稲田」
稲を抱えて降臨してきたニニギノミコト。その地を「高千穂」と言う。
・・・
何故、天孫降臨の地を「高千穂」と言うのだろう?探ってみると、「千(多いの意)の稲穂」にニニギの尊さを表す「高」を添えて「高千穂」としたとか、稲を高く積み上げた所の意味で「高千穂」とかの説明を見る。が、「千穂」はともかく、「高」の意味はそんなものなのか? 然らば、である。海沿いで営まれていた稲作が品種の変化、そして灌漑技術の発展もあって内陸の高地へ高地へと移動していった故の「高千穂」。これが私の結論だ。
■ 曲は「The New Christy Minstrels - Green Green」と「ザ・フォーク クルセダーズ - 青年は荒野をめざす」
・・・・・・
・・・・・・
11 ■ ShoSyoShuSyuSha 063:Immingrant Song / The Battle Of Evermore
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 063:Immingrant Song / The Battle Of Evermore
※クリックで当該ページへ
■ 写真は「鹿児島神宮」
鹿児島神宮が面白いのは、勅使殿に「正八幡宮」の額が堂々と掲げられていることだ。
・・・
4世紀の後半に「秦氏」が日本に渡来してくる。住んだのは豊前の地だ。そこで為された神仏習合、八幡神が生まれる。その総本山は宇佐神宮。ところが、その地で「秦氏」の力は徐々に削がれて行き…。そんな中で氏の一集団が隼人の地へ移り住んだ。「八幡神」は我々のものだ。そんな「秦氏」の渡来から隼人への移住に潜む言い知れぬ想いを、ツェッペリンは見事に歌にして見せた。
■ 曲は「Led Zeppelin - Immigrant Song」と「Led Zeppelin - The Battle of Evermore」
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12 ■ ShoSyoShuSyuSha 064:Put It Where You Want It
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 064:Put It Where You Want It ※クリックで当該ページへ
■ 写真は「 ”君の名は。” の一場面」(嘘)
「 君の名は。」でキーワードになっていた「むすび」という言葉に、我反応す。
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「古事記・日本書紀」で、この世界が生まれた時に高天原にまず現れた神の名に「むすび (むすひ)」が使われている。如何に古から重要な言葉だったことかが判るはずだ。そこには「生」、そして「再生」と向合う日本人ならではの聖なる観念が埋め込まれている。それは与えられるものではなく、私達一人一人からの心の働きかけがあって「万物は神が宿す」の観念だ。だから、まずはそこに…
■ 曲は「Larry Carlton - Put It Where You Want It」
- 撮りためた写真の中から一枚、そこに思い浮かんだ音楽(曲)とのセット「写真∽音楽」で記事にしているもの。
- 時には真面目に、時には洒落で、好きな写真と好きな音楽でひとり丁々発止とでも言ってよい。
- ・・・
- いつしか、それらの中に「古事記・日本書紀」絡みの記事も増えてきたので、
- 整理がてらこの場にリストアップを、一回につき3記事づつ拾っていきたいと考えている。
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10 ■ ShoSyoShuSyuSha 061:Green Green / 青年は荒野をめざす
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 061:Green Green / 青年は荒野をめざす ※クリックで当該ページへ
■ 写真は「法(ノリ)で造成されている稲田」
稲を抱えて降臨してきたニニギノミコト。その地を「高千穂」と言う。
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何故、天孫降臨の地を「高千穂」と言うのだろう?探ってみると、「千(多いの意)の稲穂」にニニギの尊さを表す「高」を添えて「高千穂」としたとか、稲を高く積み上げた所の意味で「高千穂」とかの説明を見る。が、「千穂」はともかく、「高」の意味はそんなものなのか? 然らば、である。海沿いで営まれていた稲作が品種の変化、そして灌漑技術の発展もあって内陸の高地へ高地へと移動していった故の「高千穂」。これが私の結論だ。
■ 曲は「The New Christy Minstrels - Green Green」と「ザ・フォーク クルセダーズ - 青年は荒野をめざす」
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11 ■ ShoSyoShuSyuSha 063:Immingrant Song / The Battle Of Evermore
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 063:Immingrant Song / The Battle Of Evermore
※クリックで当該ページへ
■ 写真は「鹿児島神宮」
鹿児島神宮が面白いのは、勅使殿に「正八幡宮」の額が堂々と掲げられていることだ。
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4世紀の後半に「秦氏」が日本に渡来してくる。住んだのは豊前の地だ。そこで為された神仏習合、八幡神が生まれる。その総本山は宇佐神宮。ところが、その地で「秦氏」の力は徐々に削がれて行き…。そんな中で氏の一集団が隼人の地へ移り住んだ。「八幡神」は我々のものだ。そんな「秦氏」の渡来から隼人への移住に潜む言い知れぬ想いを、ツェッペリンは見事に歌にして見せた。
■ 曲は「Led Zeppelin - Immigrant Song」と「Led Zeppelin - The Battle of Evermore」
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12 ■ ShoSyoShuSyuSha 064:Put It Where You Want It
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 064:Put It Where You Want It ※クリックで当該ページへ
■ 写真は「 ”君の名は。” の一場面」(嘘)
「 君の名は。」でキーワードになっていた「むすび」という言葉に、我反応す。
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「古事記・日本書紀」で、この世界が生まれた時に高天原にまず現れた神の名に「むすび (むすひ)」が使われている。如何に古から重要な言葉だったことかが判るはずだ。そこには「生」、そして「再生」と向合う日本人ならではの聖なる観念が埋め込まれている。それは与えられるものではなく、私達一人一人からの心の働きかけがあって「万物は神が宿す」の観念だ。だから、まずはそこに…
■ 曲は「Larry Carlton - Put It Where You Want It」
Posted by Kashiwa★da at 17:00 | Comments(0) | 05 別Blog「処々起承転撮」内-関連記事
Blog「処々起承転撮」古事記・日本書紀:記事…07,08,09
2018年05月01日
- 別Blog「処々起承転撮」で趣味の「写真」と「音楽」について書いている。
- 撮りためた写真の中から一枚、そこに思い浮かんだ音楽(曲)とのセット「写真∽音楽」で記事にしているもの。
- 時には真面目に、時には洒落で、好きな写真と好きな音楽でひとり丁々発止とでも言ってよい。
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- いつしか、それらの中に「古事記・日本書紀」絡みの記事も増えてきたので、
- 整理がてらこの場にリストアップを、一回につき3記事づつ拾っていきたいと考えている。
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07 ■ ShoSyoShuSyuSha 053:[ Dont Look Back ] Subterranean Homesick Blues
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 053:[ Dont Look Back ] Subterranean Homesick Blues
※クリックで当該ページへ
■ 写真は「東霧島(つまきりしま)神社:鬼岩階段」
高千穂の峰に鎮座していた「霧島神社」は、噴火で被災し分社遷座繰り返し霧島六社となる。
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その内の一社がイザナギ・イザナミを祭る「東霧島神社」で、ここには鬼が一夜で作ったという本殿への参道「鬼岩階段」がある。振向かずに登り切れば願いが叶うというゴツゴツの岩で作られた階段。「~しちゃいけない」と葛藤しながらの不規則な階段を登る十数分。黄泉の国へイザナミを追って行ったにも拘わらず、約束を破ッたが為に逆に追われる身になったイザナギの想いも頭を過ぎる。よしっ振り返らないぞ!
■ 曲は「Bob Dylan - [ Dont Look Back ] Subterranean Homesick Blues」
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08 ■ ShoSyoShuSyuSha 056:Hurt / In My Life / I'm So Lonesome I Could Cry
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 056:Hurt / In My Life / I'm So Lonesome I Could Cry
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■ 写真は「阿波岐原(あわきがはら):みそぎ池」
約束を破りイザナミから逃げるイザナギは「筑紫の日向の橘の小門(おど)の阿波岐原」に至り、禊(みそぎ)を行う。
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宮崎市の海沿いに広大な松林がある。名を「阿波岐原」と言う。シーガイアで全国的にも知られることになったその施設の、正にその足元にイザナギが禊を行った「みそぎ池」がある。穢れを払うイザナギからは様々な神が産まれ出るが、最後に顔を洗う時に産まれたのが、アマテラスにツキヨミ、そしてスサノヲだ。今に繋がるこの国の誕生がこの場所にある。耳をすませば、神聖な場所を包むように呟きの如き神聖な唄声が聴こえてくる。
■ 曲は「Johnny Cash - Hurt / In My Life / I'm So Lonesome I Could Cry」
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09 ■ ShoSyoShuSyuSha 059:時間よ止まれ
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 059:時間よ止まれ ※クリックで当該ページへ
■ 写真は「青島神社」
「海幸山幸」で知られる山幸彦とその妃の豊玉姫(とよたまひめ)を祭るのが「青島神社」だ。
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「山幸彦」は天孫降臨した天津神ニニギの子、「豊玉姫」は国津神オオワタツミノカミの娘である。お産する姿を見ないで、の約束を破り見てしまった山幸彦に、豊玉姫は恥ずかしさ際まって郷に帰ってしまう。しかし恋しさは募るばかりで歌を詠み送る。送られた山幸彦も姫を想い歌を返した。その歌を判りやすく今風に言い換えてみれば、「あぁ私が添い寝した愛しい妻よ、永遠に忘れることはないよ。罪なやつさ、あぁパシフィック、碧く燃える海。どうやら、俺の負けだぜ」だ。
■ 曲は「矢沢永吉 - 時間よ止まれ」
- 撮りためた写真の中から一枚、そこに思い浮かんだ音楽(曲)とのセット「写真∽音楽」で記事にしているもの。
- 時には真面目に、時には洒落で、好きな写真と好きな音楽でひとり丁々発止とでも言ってよい。
- ・・・
- いつしか、それらの中に「古事記・日本書紀」絡みの記事も増えてきたので、
- 整理がてらこの場にリストアップを、一回につき3記事づつ拾っていきたいと考えている。
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07 ■ ShoSyoShuSyuSha 053:[ Dont Look Back ] Subterranean Homesick Blues
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 053:[ Dont Look Back ] Subterranean Homesick Blues
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■ 写真は「東霧島(つまきりしま)神社:鬼岩階段」
高千穂の峰に鎮座していた「霧島神社」は、噴火で被災し分社遷座繰り返し霧島六社となる。
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その内の一社がイザナギ・イザナミを祭る「東霧島神社」で、ここには鬼が一夜で作ったという本殿への参道「鬼岩階段」がある。振向かずに登り切れば願いが叶うというゴツゴツの岩で作られた階段。「~しちゃいけない」と葛藤しながらの不規則な階段を登る十数分。黄泉の国へイザナミを追って行ったにも拘わらず、約束を破ッたが為に逆に追われる身になったイザナギの想いも頭を過ぎる。よしっ振り返らないぞ!
■ 曲は「Bob Dylan - [ Dont Look Back ] Subterranean Homesick Blues」
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08 ■ ShoSyoShuSyuSha 056:Hurt / In My Life / I'm So Lonesome I Could Cry
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 056:Hurt / In My Life / I'm So Lonesome I Could Cry
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■ 写真は「阿波岐原(あわきがはら):みそぎ池」
約束を破りイザナミから逃げるイザナギは「筑紫の日向の橘の小門(おど)の阿波岐原」に至り、禊(みそぎ)を行う。
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宮崎市の海沿いに広大な松林がある。名を「阿波岐原」と言う。シーガイアで全国的にも知られることになったその施設の、正にその足元にイザナギが禊を行った「みそぎ池」がある。穢れを払うイザナギからは様々な神が産まれ出るが、最後に顔を洗う時に産まれたのが、アマテラスにツキヨミ、そしてスサノヲだ。今に繋がるこの国の誕生がこの場所にある。耳をすませば、神聖な場所を包むように呟きの如き神聖な唄声が聴こえてくる。
■ 曲は「Johnny Cash - Hurt / In My Life / I'm So Lonesome I Could Cry」
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09 ■ ShoSyoShuSyuSha 059:時間よ止まれ
●「処々起承転撮」- ShoSyoShuSyuSha 059:時間よ止まれ ※クリックで当該ページへ
■ 写真は「青島神社」
「海幸山幸」で知られる山幸彦とその妃の豊玉姫(とよたまひめ)を祭るのが「青島神社」だ。
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「山幸彦」は天孫降臨した天津神ニニギの子、「豊玉姫」は国津神オオワタツミノカミの娘である。お産する姿を見ないで、の約束を破り見てしまった山幸彦に、豊玉姫は恥ずかしさ際まって郷に帰ってしまう。しかし恋しさは募るばかりで歌を詠み送る。送られた山幸彦も姫を想い歌を返した。その歌を判りやすく今風に言い換えてみれば、「あぁ私が添い寝した愛しい妻よ、永遠に忘れることはないよ。罪なやつさ、あぁパシフィック、碧く燃える海。どうやら、俺の負けだぜ」だ。
■ 曲は「矢沢永吉 - 時間よ止まれ」
Posted by Kashiwa★da at 17:00 | Comments(0) | 05 別Blog「処々起承転撮」内-関連記事